『かち感を変えたい。』

Jr.育成世代にとって強いチームが子供たちにとって良いチームなのか?
勝てるチームが本当に価値のあるチームなのか?
僕は日本のこの一般的な評価軸を変えたい。勝利を目指しながら学び、内容にもこだわる。主体性を持たせるっていうのは凄く良い響きだけど、もっと指導者が伝えなくてはいけない事が沢山あると思う。と語るのはチームが結成してまだ約3年ながらチームのセレクションに約100名弱が参加するくらい横浜でも認知度が高いチームのFC Testigo 代表中村さんだ。

中村代表を含めて4名いるメインコーチはスペインで出会い、現地で約5年間指導者として修練した後、横浜市旭区で新規チーム FC Testigo を立ち上げた。

TESTIGOって言うのはスペイン語で『証人』と言う意味。このクラブが日本サッカー界に貢献、影響を与え続けるクラブになっていく過程の選手(証人)になってもらいたい。もう一つの意味は『リレー』とか『バトン』と言う意味。やってきた事を次世代に継承していくとか、今後の人生に役立てて欲しいと言う2つの願いが込められています。

スペインだからポゼッションでしょ。同じ仲間としか出来ないでしょ。とか良く言われるんですけど、全然そんな事は無くて、私たちは試合ごとにプレーモデルを構築し、選手の個性を最大限発揮できるようにしています。プレーモデルというと型にはめているように聞こえるけど、僕達は洋服と同じだよってよく言っています。雨の日には雨の日に適した洋服を、嵐の日には、晴れて暑い日にはそれぞれに適した洋服を選ぶように、相手の戦術に合わせて、自分達の戦術を変えても、そこに適応できるプレーモデルを作っています。そこで自分の個性を出せる。だから彼らはこの先どんなチームに行っても戦術的理解度が高い選手となって自分のサッカースタイルを楽しむことができると思います。

スペインと日本は根本的な文化が違う。スペインでのやり方が全て日本にハマるかと言えばそうではない。スペインって小学生年代でプロになれる可能性があるかどうかが大体決まっちゃうんですよ。日本で言う6年生の時に1-4部まである4部のチームに所属している子がプロを目指したい! って言う事には絶対ならない。周りの大人も本人もそれを理解している。だけど4部のチームにもトップチームがあって子供達はそれぞれのレベルに合わせたサッカーを楽しめる。だから生涯サッカーと関わり続けることができるのかもしれない。

逆に1部にいる子は明確にプロを目指す。そこには生き残りの競争があってチームで結果を出さなければチームをクビになってしまうという大きなプレッシャーを感じながらプレーをしています。日本は誰しもがプロを目指せる。だけどその分チームを追い出されるプレッシャーはかかっていないと思う。だから多少の周囲からのプレッシャーなんかはあっていいのかなと思います。

スペインに勝ちたいですね。僕はやっぱり日本人なんでまだまだ日本のレベルを上げていきたい!とにかくサッカーの質を上げたいですね。そのために指導者としてまだまだレベルアップ出来ると思う。強いと言われるチームは子供の能力に勝たせてもらっている部分も大きいと思う。これからはもっと指導者の緻密さも必要になってくると思うので、そこにもっと地域から貢献したいですね。

【中村代表(177cm/71kg) 着用アイテム】

DRYを初めて着てみてどうですか?

なんと言ってもシンプルでカッコいいです。そして動きやすい!僕は試合中、練習中、かなり感情的に大きなジェスチャーをするんです。だから肩が少し落ちているゆとりのあるシルエットは凄く腕が動かしやすくて助かりますね。そして、ジェスチャーし過ぎて汗を沢山かくんですが、この生地は汗もすぐに吸ってすぐ乾くところも気に入ってます。

それ以外にも、スマホや車の鍵があるのでパンツにジップが付いているのも嬉しいです。このポケットの形が外側に寄っているのでスマホをポケットに入れた時の特有の邪魔くささがなくて、スッキリ収納されるのも凄く嬉しいですね。指導者にとってはこの感じは凄く嬉しいですね。

パンツの丈感も少し膝上で履ける絶妙な感じもかなり気に入ってます。来シーズンはコーチ陣皆んなで揃えようという事になりました。笑

インタビュー中、中村代表が子供達の動きの説明を急に熱く説明し出すシーンが何度もあった。再現性にこだわる指導は子供達に浸透し、何故そのような状況になっているのか?その状況になったらどう判断するのか?子供達同士でもコーチングし合える姿がそこにはある。

育成年代でこのサッカー、Testigoに、出会えている事は子供達にとって幸運だと思う。この先ずっとサッカーの本質を楽しめる事になるだろうから。日本サッカーの証人になるべく中村代表はこれからもTWMを着て熱い気持ちとジェスチャーでピッチサイドに立ち続けるのだろう。